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お知らせ~8月の学習会

  ◆8月の学習会のお知らせ

・「資本論」第1巻後半:13章「機械設備と大工業」7節~10節
  8月12日 / かながわ県民センター702号室
・「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」:8月新規開催
  8月19日 / かながわ県民センター702号室
・「資本論」第1巻前半:交換過程(第2章)
  8月26日 / かながわ県民センター703号室
・「資本論」第2巻:2篇「資本の回転」11章~14章
        8月26日 / かながわ県民センター707号室
※いずれも18時30分~20時30分
※連絡先:090-7729-9433(伊藤)/ yokorouclub@gmail.com

「金融資本」の概念について

  レーニン『帝国主義論』学習会

―「金融資本」の概念について―

 

 コロナ騒ぎをはさんで前後四回、レーニン『帝国主義論』の学習会が行われました。そこで大きいな議論の一つになったのが「金融資本」の概念でした。私は「金融資本」概念を批判する立場から発言しましたが、議論は時間不足で深められず、今後の課題として残りました。以下は私の意見の概略です。(菊池)

 

★帝国主義の経済的本質は独占資本!

 

皆さんは「金融資本」という言葉を当たり前のように、無批判に使っていますが、それは大いに問題があります。

 

レーニンは、『帝国主義論』について、二〇世紀初めの、第一次世界大戦直前の資本主義分析だと、随所で強調しています。レーニンは「金融資本」の分析(第3章)に移る前に、第1章「生産の集積と独占体」で「生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義発展の現段階の一般的で基本的な法則である。」(国民文庫p27、ゴチックは菊池)として、独占の成立こそ帝国主義の基本的特徴であると強調しています。そしてヒルファディングの金融資本の定義、「産業資本に転化している銀行資本、すなわち貨幣形態にある資本」(同61)」に対して、「この定義は、その中に最も重要な契機の一つ、すなわち、生産と資本の集積は、それが独占に導きつつあり、また既に導いたほど著しく進展したということの指摘がない限り、不完全である。」(同p61)と批判し、そして改めて金融資本とは、「生産の集積、それから成長してくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着」と、定義し直しています。

 

さらにレーニンは、第10章の初めで、「その経済的本質からすれば、帝国主義は独占資本主義である。」(同p159)そして、「いま考察している時代にとって特徴的な独占の、あるいは独占資本主義の主要な現象の、四つの主要な種類を指摘しなければならない。」(同p159)として、第三に金融資本を取り上げ、「現代のブルジョア社会の例外なくすべての経済機関と政治機関の上に、従属関係の細やかな網の目を張り巡らしている金融寡頭制ーこれが独占の最もきわだった現れである。」(同p160)としている。要するにレーニンは、帝国主義の経済的本質は、独占にあり、金融資本はその現象だと言っているのです。

 

★ドイツ資本主義の発展

 

 それではレーニンは、なぜ金融資本を帝国主義の特徴の一つにしたのでしょうか?それは、20世紀に入る直前から第1次世界大戦に至るまでのドイツ資本主義の目覚ましい発展が、「銀行と産業資本の融合あるいは癒着」つまり「金融資本の支配」として現れたからです。ドイツは、後発の資本主義国として英仏に追いつくためには、産業資本の資本蓄積が足らず、銀行資本の融資に頼らざるを得なかったのです。そこに「産業資本と銀行資本の癒着」という特異な現象が現れたわけです。産業資本が確立しており、銀行資本に頼る必要がなかった英仏と比べてみると、ドイツの産業資本と銀行資本の融合は、発展する資本主義の新しい展開、帝国主義の一特徴だったのです(アメリカではロックフェラーの産業資本が銀行資本を支配しましたが)。

 

★金融資本とは何か?

 

 しかし、「金融資本」とは一体何でしょうか?銀行資本との違いはどこにあるのでしょうか?銀行資本とは別種の金融資本という資本が存在するのでしょうか?そんな資本はあるはずがありません。銀行資本は、生産資本のように価値を生み増殖するものではありません。銀行資本の利潤は、産業資本の剰余価値から分配された利子や擬制資本の配当等から成っています。「資本論」第一巻は、産業資本の分析に充てられており、マルクスにとって「資本」といえば「産業資本」を指すのであります。産業資本の分析がなされて初めて銀行資本の分析(第三巻)も可能となるのです。産業資本こそ資本の本質的な形態であり、産業資本のない資本主義はあり得ないが、銀行資本のない資本主義は想定できるのです。

 

★銀行と産業資本の結びつきは今に始まったことではない!

 

 ヒルファディングは、金融資本を「産業資本に転化した銀行資本、すなわち貨幣形態にある資本」と定義しています。しかしこれは全くおかしい。そもそも銀行資本とは「貨幣形態にある資本」であって、貨幣資本は、生産手段と労働力の購入によって初めて生産資本になるのであって、その過程を無視しては、貨幣資本が産業資本つまり生産資本に転化することなどありえません。ヒルファディングは、第一次大戦前のドイツにおいて銀行資本が大きな力を発揮して産業資本をも従属させた状況を述べているのですが、そうした状況は独占資本主義に常に一般的に存在するものではありません。銀行資本と産業資本との結びつきは、資本主義の初期の高利貸し資本の時代から存在したものです。両者は相互に依存し影響しあって資本主義の発展を可能にしてきたのです。

 

★現在、どこに銀行資本による産業資本の支配があるか?

 

銀行資本による産業資本への巨額の融資、参与制度や重役派遣による人的支配、株式の時価発行による莫大な創業者利得の確保等、産業資本に対する銀行資本の支配は強まったとしても、それによって銀行が産業資本家になるわけではなく、あくまで企業の主体は産業資本です。逆に現在のように、自己金融(トヨタ銀行!)や豊富な内部留保による銀行離れ、さらには超低金利による銀行危機の状況をみると、銀行による産業資本の支配ということがいかにナンセンスであるかが分かります。また銀行が産業資本の株を所有して支配すると言ってみても、逆に産業資本も銀行の株を持つ、いわゆる株の持ち合いも行われています。要するに、「銀行の管理下に産業資本が置かれる」かどうか、あるいは現代のように銀行の金余りや産業資本の自己金融によって産業資本が優位に立つか、つまり銀行資本と産業資本のどちらがヘゲモニーを持つかは(ロックフェラーの例のように)、その時々の状況や力関係によって代わるのです。

 

★「金融資本」は時代錯誤!

 

結論!帝国主義の本質は、生産の集積、つまり独占資本にあります。金融資本(もしくは金融寡頭制)は、特定の時代における独占資本の現象形態にすぎません。資本主義経済の、一時的に目立った現象に惑わされて、現象を本質と誤認するのは、ブルジョア意識の特徴の一つです。

共産党は,今もって金融資本を帝国主義の本質とし、レーニンを「独占を重視する」などと言って批判しています。しかし、危機的状況を迎えている現代資本主義における超低金利政策、銀行離れなどの現状を見てみれば、「金融資本の支配」が、いかに誤った時代錯誤の観念であるかがわかります。それは単にナンセンスであるばかりでなく、独占資本の支配の打倒を目指す労働者の闘いを、ありもしない「金融資本」に向かわせるという、重大な過ちを犯すことになります。「金融資本」概念は、あくまで二〇世紀初頭に現れた産業資本と銀行資本の一時的な「癒着や銀行資本による産業資本の支配」の現象を指すのであって、帝国主義は、レーニンの言うように独占資本をその本質とするものです。「金融資本」概念を使用するときは、あくまでそうした限定をつけて使用すべきであって、これをもって帝国主義の本質とするのは、とんでもない過ちであると言わざるを得ません。ヒルファディングや共産党の「金融資本」概念を否定し、マルクスやレーニン本来の独占資本の概念に戻るべきです。


お知らせ~7月の学習会

◆7月の学習会案内
・7月8日(水)資本論第1巻後半~13章「機械設備と大工業」3節~6節/かながわ県民センター702号室
・7月15日(水)帝国主義論~9章「帝国主義の批判」10章「帝国主義の歴史的地位」/かながわ県民センター703号室
・7月22日(水)資本論第1巻前半~商品の物神性(第1章4節)/かながわ県民センター702号室
・7月22日(水)資本論第2巻~2篇「資本の回転」7章~12章/かながわ県民センター703号室
※いずれも18時30分~20時30分
※連絡先~090-7729-9433(伊藤)/yokorouclub@gmail.com

6月の学習会案内

6月の学習会のお知らせ

★帝国主義論 6月17日(水) 県民センター703号室  
       6章から8章まで
★資本論第1巻前半 6月24日(水)県民センター307号室 
 ⇒センターからの要請により602号室へ変更になります。
                                    価値形態論(第1章3節)
 どちらも18時30分からです。
※マスク着用等感染予防のご協力を~以下をお読みください。
    神奈川県民センターからのお知らせ
※第2巻学習会については別途連絡いたします。

[投稿]赤旗の『ペスト』書評に異議あり ―― 人間賛歌でいいのか

 赤旗の『ペスト』書評に異議あり

     ――人間賛歌でいいのか

 

 カミュの「ペスト」が爆発的に売れているそうだ。唯一の文庫本である新潮文庫は増刷に次ぐ増刷という。「ペスト」の設定が現在のコロナによる都市封鎖とそっくりだからであろう。“赤旗の書評欄で「ペスト」を紹介しているから読んでみたら”、という誘いがあったので、再度(数十年前の若いころに呼んだが、内容はほとんど忘れてしまった)読んでみることにした。

 

 物語は194*年のアルジェリアの地方都市オランがペストに襲われたことに始まる。主要な登場人物は、主人公であり物語の語り手である医師のリウーである。また後にリウーの親友になるタルーは、検察官の息子でかってはニヒリストだったが、ペストでは自ら保健隊を組織して献身的に働くが最後にペストに斃れる。新聞記者のランベールは、本国に恋人を残してきて、たまたまペストに遭遇した個人主義者で、何とかオラン脱出を試みるが、市民の惨状を目の当たりにし予防隔離所で働くことになる。その他、戦闘的なイエズス会士のパヌルー神父(やはりペストで死ぬ)、年寄りだが事実上衛生隊の代表になるグラン、気が違ってしまうコタールなど多彩である。これら様々な経歴や職業を持つ市民たちが、連帯し協力してペストに立ち向かう、これが小説「ペスト」のテーマである。

 

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横浜で『資本論』学習会を開いています。

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