ホーム   »  学習会報告・復習ノート  »  第4章第3節「労働力の購買と販売」学習会

第4章第3節「労働力の購買と販売」学習会

 11月23日、第4章「貨幣の資本への転化」第3節「労働力の購買と販売」を学習しました。
 第2節でみたG-W-G’に内在する矛盾――資本が流通上でうまれるとともに、流通では生まれないという矛盾――は、いかにして解決されるのでしょうか。流通過程は等価交換であり、ここから価値変化はおこりえないこと、結局価値変化はG-Wで買われる商品Wにひそみ、その消費が価値の創造である商品を見出さなければならないが、そのような特殊な商品こそ労働力商品であるということを確認しました。そして、労働力商品とは何か、労働と労働力との違い、労働力商品が市場に現われるための条件=二重の意味で自由な労働者について、賃金労働者の出現が画時代的な出来事、一つの世界史を包括するという意義について、労働力商品の価値規定について、労働力商品の価格変動について等々を検討していきました。さらに、ブルジョアたちが理想化する「自由・平等・所有・ベンサム」が資本主義の流通部面に基づくブルジョアイデオロギーであり、日本国憲法もその延長線上にあることなどを検討しました。
 検討された大切な問題の一つは「二重の意味で自由な労働者」という概念(人格的・身分的に自由であると同時に、生産手段や生活手段からも自由であるという二重の意味で自由な労働者の存在を前提にして貨幣は資本に転化する)についてでした。参加者から「自由な労働者」というとプラスのイメージがあるが、労働者が生きる手段から切り離されているというマルクスのもう一つの説明はむしろ暗い感じがある、労働者のおかれている現実をみても「自由な」には違和感がある、いかに両者を考えたらよいのかという疑問がだされました。これについては、人格的に自由な労働者ということは、人身的に隷属していた奴隷や農奴と比べれば歴史的に進歩的なことではあるが、そのことは同時にこの労働者が、生産手段や生活手段から切り離されているという意味での「自由」と切り離しがたく結びついており、両者はメダルの裏表であるという説明がありました。
 賃金労働者すなわち「人格的に自由な労働者」は、奴隷や農奴ではないということ、人身的隷属拘束から解放され、居住や移転の自由、職業の自由、契約の自由をもち、労働力を商品として自由に処分でき、労働力の買い手に対しても法的に平等な個人として相対するということですが、こうした「自由や平等」の形式や外観をとって、「自由な労働者」への搾取が行われるということこそが、資本主義社会のそれ以前の階級社会の搾取形態と区別される大きな特徴だということが確認されます。流通の部面を見るかぎり、「自由・平等」の「楽園」に見える、資本家と労働者の関係は貨幣と労働力を相互に交換しあう形式的には「自由・平等」な商品所有者どうしの関係として現われます。奴隷制や封建制では、暴力や直接的強制、経済外的強制によって搾取が行われるために、搾取が目に見える形をとるのに対し、賃金労働者の場合、資本家と労働者の結びつきが労働力という商品の売買という形、商品の交換関係、貨幣関係に媒介されて搾取が見えにくくされているのです。労働者は自由な契約によって自分で自分の労働力を売るのだから、どの資本家に労働力を売ろうと自由だという建前になっていますが、しかし生産手段をもたない労働者は資本家のうちのだれかのもとで搾取されながら働かなければ生きていけないのですから、実質的には結局全体としての資本家階級に隷属しているというのが「自由な労働者」の本当の内容です。
 いよいよ我々は流通の部面を去って生産の場に入っていきますが、実にマルクスは次章以降で、資本の生産過程が労働者を抑圧する搾取の過程であり、ブルジョア社会の表面に現われる「自由」や「平等」が外観であり、実質的には従属や不平等の関係が支配していることを様々な側面から暴いていきます。その内容を詳しく見ていくのは次回以降の学習会の検討課題となります。最後に、少し先の章(第8章「労働日」)になりますが、この第3節「労働力の購買と販売」と対比する形で、「自由な労働者」の「自由な行為」が生産過程から出てくるときはどのようになっているかを述べた箇所がありますので、引用して終わりにします。
「わが労働者は生産過程にはいったときは違うものとなって、そこから出てくるということをわれわれは認めなければならない。市場では、彼は、『労働力』商品の所有者として他の商品所有者たちと相対したのであり、商品所有者が商品所有者と相対したのである。労働者が自分の労働力を資本家に売るときに結んだ契約は、彼が自分自身を自由に処分するものであることを、いわば白い紙に黒い文字で書きとめたようにはっきりと証明した。取り引きが終わったあとになって、彼は『なんら自由な行為者ではなかった』こと、彼が自分の労働力を自由に売る時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であること、実際に彼の吸収者は『一片の筋肉、一本の腱、一滴の血でもなお搾取することができる限り』手放しはしないことが暴露される。」
コメント
トラックバック
トラックバック URL
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
プロフィール

yokorou15

Author:yokorou15
横浜で月2回『資本論』学習会を開いています。

カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR