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第8章「労働日」第6節「標準労働日獲得のための闘争。法律による労働時間の強制的制限。1833年ー1864年のイギリスの工場立法」、第7節「標準労働日獲得のための闘争。イギリスの工場立法が他国におよぼした反作用」の学習会

 4月12日、第8章「労働日」の第6節「標準労働日獲得のための闘争。法律による労働時間の強制的制限。1833年―1864年のイギリスの工場立法」と第7節「標準労働日獲得のための闘争。イギリスの工場立法が他国におよぼした反作用」を検討しました。
 前回、労働日をめぐる資本家と労働者との闘いの歴史は大きく対立する二つの流れがあるとして、その第1の段階(資本の萌芽期)を見ました。第6節では、その第2の段階を見ていきます。18世紀の最後の3分の1期に、従来の手工業的な労働様式が変革され、機械制工業が誕生して以来、資本家は国家の力によらなくても、「経済的強制」によって労働日を法外に延長できるようになり、16~17時間という長時間の労働日が普通になり、多数の労働者の命と健康をかえりみない「突進」が生じました。
 しかし、19世紀に入り労働者の抵抗をよびおこし、労働者は労働日を短縮するために法律による標準労働日の制定を求めて闘い始めました。イギリスの労働者は長い闘いを経て、1833年の最初の本格的な工場法、1844年の追加工場法、1847年の新工場法などをかちとっていきます。47年に10時間法案が議会を通過し、翌48年から施行され、13歳~18歳までの少年とすべての婦人労働者の労働日を10時間に制限することになります。学習会では、レジュメなどにより各工場法の内容と、労働日の法的制限に対する資本家たちの抵抗や反逆なども見ながら、標準労働日や労働時間短縮闘争の意義について確認しました。

≪1802年-1833年≫
●1802年~33年まで名目だけの5つの労働法
≪1833年の工場法≫
※工場監督官制創設~実効性のある最初の工場法
※綿工場、羊毛工場、亜麻工場、絹工場に適用~近代産業にとって標準労働日が始まる
●朝5時半始業、晩の8時半終業~15時間の工場労働日
●その時間内で13歳~18歳未満は12時間に制限
●9歳~13歳未満は9時間に制限
●9歳未満児童の雇用禁止
●9~18歳の年少者の夜間労働禁止
※法の目を潜ろうとする「資本の精神」の象徴~「リレー制度」。18歳以下の2組で成年の15時間に合わせる。
「新しいリレー制度」~同一の児童と少年が数時間の労働をしたのち、同じ日に別の部門あるいは別の工場に回され、工場監督官はあざむかれる
※労働者は10時間法案をスローガンに。
穀物法廃止のため労働者の援助を必要としていた工場主の代弁者が10時間法支持⇒44年法へ
≪1844年の追加工場法≫
●18歳以上の女性の労働時間を12時間に制限
●13歳未満の児童労働が6時間半から7時間の間に短縮
●リレー制度の濫用をなくすための細則
※成年男子労働者も同じ制限に従わせられるようになる。年少者や女性労働者たちとの共同作業が不可欠なため(年少者の補助労働—機械の下にもぐりこみ切れた糸をつなぐ、綿屑を掃除する等々)
≪1847年の新工場法≫
※チャーティスト運動の高揚と連動し10時間運動もりあがる。1846年の穀物法廃止で対立した地主と産業資本家との分裂も作用 し、ついに10時間法は議会通過
●13-18歳の年少者とすべての女性労働者の労働日が、47年に11時間、48年から10時間に制限
※資本家の巻き返し~チャーティスト運動の失敗、パリ暴動鎮圧後、支配階級を統合させ、工場主の反逆を許す。夜間労働の復活、賃金の切り下げ、法律を公然と破る、資本家が判事でもある裁判所は工場主に有利な判決を下す、リレー制度の復活、等々。
※労働者は威嚇的な抗議闘争を行い、資本家と労働者との間に妥協が成立し、1850年の工場法へ
《1850年の追加新工場法》
●労働日を週日平均10時間に(最初の5日は10時間半、土曜日は7時間半)
●工場労働日が朝の6時から晩の6時までの12時間に
※工場法の適用範囲の拡大~1845年の「捺染工場法」から。1860年以降、10時間労働制は漂白、レース、靴下、マッチ、製パン 等々の工場にも広がる

 第7節の最初の部分を若干議論。第1に、工場法制定で「主役」を演じたのが、先進的な部門の繊維産業だけであり、また未成年の労働であり、まだ例外的であったが、それが一般化するということについて検討しました。第2に、標準労働日の創造が資本家と労働者との長期にわたる「内乱の産物」であり、イギリスの労働者とその理論家が先駆者だということが確認されますが、ユーアはどうでしょう。ユーアは、資本家が雄々しく「労働の完全な自由」のために、つまり剰余労働の搾取の自由のために闘ったと資本家を賛美する一方、労働者に対しては「工場法という奴隷制」に、工場法の庇護に入ったとして非難するのです。実際、ユーアは労働日の短縮に反対した「工場哲学者」でした。
 次に、イギリスにおける工場法が他国にも強い影響を与えたことを見ていきました。フランスでは2月革命後12時間の標準労働日が誕生し、アメリカでは南北戦争後8時間労働日を要求する闘争が広がります。1866年に開かれた国際労働者大会は、8時間労働日の要求を決議し、労働日の制限は労働者解放のための不可欠の「予備条件」「先決条件」だと宣言します。マルクスが「法律によって制限された労働日というつつましい“大憲章”」を得るために労働者は階級として結集し闘わねばならないと強調している意義を改めて確認しました。
 次回4月26日は、第9章「剰余価値の率と総量」を検討するとともに、第4篇「相対的剰余価値の生産」の第10章「相対的剰余価値の概念」にも入る予定です。
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横浜で月2回『資本論』学習会を開いています。

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